人怖系

「あなただけは絶対に許せない。」

「あなただけは絶対に許せない。
そう書かれた手紙が自宅のポストに入っていた。

夜ご飯を調達しにコンビニへ行った帰りに発見したものだ。手紙の差出人は不明で、どういう意味かも分からない。いや、言葉の意味自体は分かるが、誰かから絶対に許さないと言われる覚えはなかった。

しかも、まだ引っ越してきて3日目なのだ。
僕の新しい住所を知っているのは両親だけである。
もちろん、両親がこんな手紙を送ってくるはずはない。
大学をきっちり4年で卒業し、この春から東京に本社を構える上場企業への就職も決まってある。両親は僕の進路を一番喜んでくれていた。
よって、この手紙が両親からのものである可能性は限りなく低いだろう。

では一体誰からの手紙なのか。
実は、僕という人間がこの家に住んでいるということを知っている人は、両親のほかにあと一人だけいる。

しかし、その人が、僕を絶対に許さない理由などあるわけない。
なぜなら、僕の隣人だからだ。
それも昨日引っ越しの挨拶をしたばかりである。手土産にお菓子も持って行ったし、なによりものすごく愛想が良かった。

その隣人は小説家を目指しているらしく、2年前に事故で亡くした両親が天国でも読めるようにベストセラー小説を書きたいと言っていた。
小説を普段から愛読している僕は興奮して、どんな小説を書いているのか聞くと、快く今執筆中のネタを教えてくれた。
自分には思いつきそうもない設定で、感心したのを覚えている。

去り際に、その隣人は小説が完成したら、僕に最初に読んでほしいと言ってきた。僕は二つ返事で了承し、部屋に戻った。
そんな隣人が、いきなりあのような手紙を送ってくるとは考えられない。

もし手紙の差出人が隣人である可能性があるとすれば、手土産のお菓子が好みではなかった場合である。ばかばかしい。
結局、差出人が誰なのか考えても分からない。

ふと、玄関で手紙を眺めながら棒立ちになっている自分に気が付いた。
慌ててリビングに入り、ご飯を食べようと思ったが、コンビニ弁当はもう冷え切っていた。

次の日の朝、僕は目が覚めると顔を洗いに洗面台に立った。
あまりよく眠れなかったので、顔が疲れているように見えた。
軽い朝食を済ませた後、着替えて区役所に向かうことにした。
入社式の日に、新しい住民票などが必要だった。

家を出る前、机の上に置きっぱなしだったあの手紙が目に入った。
区役所に持っていけば、差出人が分かるんじゃないかと思ったが、どうせ警察の担当だと言われるだろう。

そして、もし警察に持っていってもどうせ取り合ってくれない。
分かり切ったことだった。

気を取り直して、僕は区役所へ向かうことにした。
外に出ると、まだ肌寒かった。

寒がりの僕は、冬が一番嫌いだ。世の中には、冬のときは夏が好きと言い、夏のときは冬が好きと言う人がたくさんいる。
だけど僕は、どんな季節のときでも冬が一番嫌いだ。
日本はもう三季でいいとさえ思っている。

区役所に着くと新社会人らしき人たちが大半だった。
ほとんどの人に、あと一週間で働き始めなければならないという悲壮感が漂っていた。僕も例外ではなかった。
自分には何か特別な才能があって、毎日満員電車で疲れた顔をしているサラリーマンとは違う未来を想像していた。
だがいつからか、自分には特別な才能などなく、歳を取るにつれて妥協していくしかないと思うようになった。
普通に大学に行き、普通に就職活動をし、普通に就職し、普通に生きていく。
そんなルートも悪くはないと、自分を説得するしかなかった。

だから、隣人が小説家を目指していると聞いたとき、少し憧れの気持ちが芽生えた。彼は確か28歳だ。
大学を出て、小説家になるために5年以上も書き続けている。
それは、僕には普通の人生よりかっこいい人生のように感じられた。

そんなことを考えていると受付の人に名前を呼ばれていた。
座っていた椅子から立ち上がるとき、その腰はいつもより重たかった。
区役所での手続きが終わり、小腹も空いていたので、区役所の近くのカフェに入った。店内はほぼ満席だったが、運よくカウンター席に座ることができた。
注文を取りにきた店員が好みのタイプだった。
パンとコーヒーを注文し、その店員が注文を厨房に通しにいく姿を目で追いながら、行きつけの店にしようと心に決めた。

注文したものを待っていると、さっきの店員が席まできた。
どうやら、カフェが用意している3種類のマグカップから1つ選び、それでコーヒーを飲むというシステムらしい。
それぞれ犬の絵、花の絵、白の無地のマグカップだった。

僕は適当に、花の絵が描かれているマグカップを選んだ。
直後に僕が注文したものが運ばれてきた。
運んでくれたのは、女性の店員ではなく、男の店員で、少し裏切られた気分になった。

カフェを出た僕は疲れを感じ、まっすぐ帰宅することにした。
マンションに着くと、異様な光景が目に入ってきた。パトカーが止まっている。そして、ドラマや映画でしか見たことがない黄色いテープも張られていた。

僕は、手紙のこともあり、不気味に思いながらもエレベータに乗り込み、自分の部屋の階まで上がった。
そこでさらにぎょっとした。何人もの警察官がフロアにいる。

嫌な予感がして、あの愛想の良い小説家志望の彼の身に何かあったのかもと心配になり、すぐに警察官に聞いてみた。
その警察官は、機械のような口調で、彼は殺された、犯人はまだ分からないし証拠も出てきていないと言った。
僕は血の気が失せた。事態を飲み込めないまま、その場で最近変わったことがなかったかとか、争うような音を聞かなったかとか質問されたが、特にないとしか答えようがない。

というより、僕はまだ引っ越してきて4日目だということを伝えると、警察官は少しがっかりしたように、もう部屋に戻ってもいいと言った。
僕は言われるままに部屋に入り、何もせずただただ座り込んだ。

何が起こっているんだ。
引っ越してきて4日目に、隣人が殺される。こんなことが自分の近くで起こるとは思いもしなかった。いきなり僕は恐怖を感じてきた。

大量に汗が噴き出してくる。なんとか落ち着こうと、テレビでもつけようとリモコンを手に取ろうとしたとき、汗が全て引いた。
そこにあったはずの、あの手紙が消えていた。」

ここまで書き終え、僕は息をついた。

行きつけのカフェで、いつものマグカップでいつものコーヒーを飲み、いつものカウンター席に座っていた。
タイプの女性店員が話しかけてきたのでイヤホンを外す。

「いつもそのマグカップを選ばれますね。ダリアお好きなんですか?」
「ダリア?ああこの花ダリアって言うんですね。知らなかったです。」
「私もこのダリアの絵柄気に入ってるのでなんだか嬉しいです。今日はお仕事ですか?」
「いや、仕事というか・・・僕小説家を目指してるんです。」
「ああ、それでパソコンでいろいろ書いているんですね。がんばってください、応援してます。」
「いえいえ、ありがとうございます。」

僕はコーヒーを飲み干し、店を出た。

彼女との会話を反芻しながら、これからも通おうと心に決めた。家に帰る途中、ほとんど散った桜のそばを歩いた。
もう道端に散っている桜を踏みつけながら、今の自分の状況を振り返った。

入社したものの、本来描いていたいた将来とのギャップに苦しみ、会社を1週間で辞めた。
そして、小説家を志すことにした。元々小説が好きだったことや、隣人が小説家を目指していたことに影響を受けている部分はあっただろう。

そして、実際に小説を書き始めた。しかし、一向に書けない。
面白い設定も、予想を裏切る展開も何も浮かばなかった。
自分は特別な人間ではなかった。

そこで、ふと思い出した、隣人が今書いている小説の話を。
あらすじもある程度聞いていたため、自分にも書けるのではと思った。
だが、問題は彼がその設定で今、小説を書いていることだった。

そこで僕は、ある晩、彼の部屋を訪ねた。
「こんばんは。お久しぶりです。ちょっと、職場で悩みがあって・・・よければ散歩でもしながら聞いてくれませんか?」
「ああいいよ。僕も書きっぱなしでちょうど気分転換したかったから。」

そして僕たちは夜の散歩に出かけた。5分もしないうちに雨が降ってきた。
天気予報通りだった。彼は小説をずっと書いていたのだろう。雨に驚いていた。

「うわ、雨か。参ったな、傘持ってきてないぞ。」
「困りましたね。あ、そうだ、すぐそこに小さな居酒屋があるんです。もしよかったらそこで悩みを聞いてくれませんか?」
愛想の良い彼は断るはずなかった。
僕の計算通りだった。

居酒屋に入ると、僕はまずよくあるような嘘っぱちの悩みを話した。
彼は親身になって聞いてくれた。その話を適当に切り上げ、僕は彼が今書いている小説についていろいろ聞いてみた。
冒頭からクライマックスまでどのような展開なのか、どれくらいで完成するのか。

彼は僕を信頼しているのか、物語の全てを語り、もう小説は一応完成していて、あとは少し手直しするだけだと言っていた。
僕はそれを全て録音していた。そして、僕はその小説を褒めちぎり、絶対に賞を取れると彼に何度も言った。彼は気をよくし、気づけば泥酔していた。

帰り道、彼は真っ直ぐ歩けなかった。やれる。
僕は直感した。

後は簡単だった。
家に帰るまでに、人通りがほとんどなく、川に面している道があった。
僕は彼に話しかけた。

「その小説が、映画化なんてされたらすごいですよね。」
「そうなったら大金持ちだあ。」
「あ、川にでかい魚がいますよ。」
「猫が食べにきて持って行っちゃうんじゃねえの。魚なんていないじゃ」

そこで僕は彼を押した。
あまりに軽い押しだった。だが泥酔していた彼にはそれで充分だった。

僕は5分くらい待ってから、救急車を呼んだ。

雨で、川の流れは普段よりも急になっていた。
僕は成功したと思った。

救急車やパトカーが来て、状況を説明した。
彼は相当酔っぱらっていたこと、雨で足元が悪かったことなどから僕の証言は信じられたようだった。
それから何度か尋問されたが、同じ説明をし続けた。
そして、証拠も動機もないことから、ついに事故と処理された。

しかし想定外だったことがある。
彼は生きていた。

だが、意識がいつ戻るか分からない状態だと聞いた。
それに、脳も傷を負い、もし意識が戻っても手や足はほとんど動かせないとも聞いた。
僕は安堵した。

さっきカフェで書いていたのが、その例の小説だった。
録音を頼りに書き始めたところだった。

僕は書き終えたら、その小説を新人賞の応募に出すつもりだ。
小説は小さいころから読んでいたので、設定や展開的に大いに勝算はあると思った。
この小説が賞を取り、デビューできれば、僕も晴れて「特別な人間」だ。

2年後、僕は打ち合わせのため、東京の某出版社にいた。
担当の人が近づいてくる。

「もうすぐ記者会見室に向かってもらいます。記者の方たくさん来られていましたよ。私も担当として、映画化となったことを大変喜ばしく思っています。本当におめでとうございます。」
「ありがとう。まあ、まだまだこれからだけどね。」
「本当によくあんな設定を、そしてあんな展開を思いつきますよね。小説家の人は思考が特別なんですね。」
「買いかぶりすぎだよ。お、出番みたいだ、じゃあ行ってくるよ。」

記者会見を無事に終え、家に帰ってきた。
2年前引っ越してきたマンションに、僕はまだ住んでいた。
印税などが振り込まれるのは来月だったので、そろそろ引っ越すつもりだった。

テレビをつけ、夕方のワイドショーを見ていると、自分の小説の映画化のニュースを扱っていた。
僕が優越感に浸っているそのとき、家のチャイムが鳴った。
玄関に出ると、宅配業者が段ボールを持っていた。僕は受け取りのサインをし、段ボールを受け取った。

そのとき、少し拍子抜けした。
あまりにも軽かったのだ。差出人を見ると本を出した出版社になっている。

サプライズで映画化のお祝いかと期待しながら段ボールを開けた。
そこには紙が一枚だけ入っていた。

こちらから見た感じ何も書いていなかったの手に取って紙の裏を見た。
その瞬間、僕は思わず紙を落としてしまった。

床に落ちた紙には、あまりにも汚い字で、「あなただけは絶対に許せない。」とだけ書かれていた。

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