私が昔住んでいたその町は、かつて農村でしたが、私が中学生の時に人口減少に伴い他の市町村と合併し、農業ではなく違う産業に目をつけるようになりました。
それは、観光業でした。
当時は“田舎でスローライフ”やら“山ガール”といった言葉が出始めた時だったので、町の豊かな自然を利用して観光客を呼ぼうとしたんです。
農業体験や無農薬野菜を使ったカフェ、古い農家を改装した民宿…ブームに乗ったのが幸いだったのでしょう。都会から観光客が来るようになりました。
予想より良い結果が出ると、人間は欲が出るものです。
もっと観光客を呼ぶには、町中の民宿や飲食店、農業体験だけでは足りません。
祖父の家で設けられた県の開発担当者同席の話し合いで、担当者はある案を打ち出しました。
「ここには未開発の山があります。この山を綺麗に開発し、ハイキングコースを作ってはいかがでしょう」
未開発の山というのは、町の奥にそびえる山のことでした。
私も正式な名前は分かりませんが、みんな“ステ山”と呼んでいました。
ステ山は入ってはいけない山と昔から言われており、私も子供の頃は「あそこで遊んじゃ駄目だよ」ときつく言われてきました。理由までは分かりません。熊が出るからとか、そんなものだろうと思っていましたが、担当者の言葉に場の空気は凍り付きました。
「ステ山を開発する…ってぇことですか?」
私が運んできたお茶を啜って、祖父が呟くように言いました。
お茶を運び終えた私は早々に部屋を出ましたが、気になって部屋の外から大人たちの話を盗み聞きしました。
「そうです。今若者の間では登山ブームで、登山に興味を持つ人も増えています。きちんと整備すれば、若者からファミリー層まで呼び込むことが可能でしょう」
「しかしなぁ…あそこはなぁ…」
「けんどよぉ、いつかは立ち入って整備せにゃならんべ。いつまでも古い慣習にとらわれてんのも、若い世代や町の未来を考えたら良くないでよ」
「んだなぁ…それはもっともだ。でも、あすこは、少しなぁ…」
祖父をはじめ、話し合いに参加していた古老たちがざわつきました。
「何か、問題があるのでしょうか?もし何かご不安があるのでしたら、教えて下さい」
担当者が丁寧に言いました。
しかし、その場がしんと静まり返り、誰も担当者の問い掛けに答えようとはしません。
静寂を破ったのは、私の祖父でした。
「ステ山は…あそこにはあまり触れん方がいい」
「それは何故ですか?」
祖父は口を閉ざしました。
何故山に触れてはならないのか…担当者が一番知りたいことを、誰も語ろうとはしない姿勢に違和感を覚えました。
話し合いはまとまらず解散となりました。
あの話し合いから数日後、学校の帰りに畑で農作業をしている近所のお兄さんに会いました。
お兄さんとは家が近所で、一人っ子の私にとって彼は兄のような存在でした。
「ケイちゃんの家でいつもやってるステ山開発の話し合い、まとまらないみたいだな」
お兄さんのお父さんとおじいさんも、話し合いに参加しているので、お兄さんも話し合いが拗れているのは知っているようです。
苦笑いをするお兄さんに、私はふと聞いてみました。
「ねえ、お兄ちゃん。あそこを開発するのってそんないけないことなの?」
「昔から言われてることだからなぁ」
「でもさ、もっとお客さん呼びたいなら、古いものを壊していくのも大事だと思うの。それに、人の手が山に入ることで、管理もしやすくなって、環境が守られたりするでしょ?昔から言われてるってだけで反対するのは変な話よ」
私の意見に、お兄さんは驚いたような表情を見せた。
「こりゃたまげた。ケイちゃんもすっかりお姉さんだな」
「からかわないで。ねえ、本当に皆反対してるの?」
「そうでもないさ。賛成もいれば反対もいる」
「お兄ちゃんはどっち?」
「中間かな。ただ…良くないことが起きそうだなとは思うよ。ステ山は特別な山だから」
煮え切らない回答のお兄さんに、私はそんなの少し違和感を覚えました。
あのステ山が“特別な山”…?私にはただの整備されていない山にしか思えませんでした。
ステ山の開発が決定したのは、私が夏休みに入った頃でした。
しかし、開発するに当たり一つだけ条件が出されました。
“山のお堂には絶対に触れない”
お堂ってなんだろう…と気になっていた頃。祖父から、ステ山を開発する前に山のお堂にみんなでお詣りをしに行くから来ないかと言われました。
普段入れない山に入れるチャンスと思い、すぐにOKしました。
お詣りに参加したのは老人や主婦ばかりで、若いのは私とお兄さんだけでした。
初めて入るステ山は、草木が生い茂り、進むのも困難でした。申し訳程度の山道は足場が悪く、腐った落ち葉で滑りやすくなっています。高い木々のせいで日差しは遮断され、真夏だというのにひんやりとした冷たい空気に包まれていました。
しかし、ただの冷気とは異なるもので、私はひやりとしました。お堂への道で、度々石を重ねた不格好な雪だるまのようなものを見かけたのです。一つや二つではありません。大小様々で、不規則にそれは置かれていました。
明らかに人為的なオブジェです。それを見るたびに、体の奥底からぞわぞわと悪寒のようなものを感じました。
しばらく歩いてお堂に着くと、全員で手を合わせてお詣りをしました。
お堂なんて言い方をしていますが、それはどう見ても、粗末で小さなあばら屋で…私は勝手にがっかりしました。もっと立派なものだと思っていたからです。
お詣りを終えて帰ろうと歩き出した、その時…後ろから視線を感じました。誰かが見ている時って、なんとなくだけど分かったりしませんか?背中に、ぞわ…と変な感触を覚えるというか…。
誰だろう、と振り返っても、背の高い草や笹と汚いお堂があるだけ。
気のせい…?いや、確実に誰かがわたしを見つめていた…。
途端に、お堂が小さなあばら屋ではなく、不気味な何かに見えました。
何故かは分かりませんが、私が感じた不気味な視線は、このお堂に何か関係あるのではないかと思ったのです。
隣にいたお兄さんに、私は一つ聞いてみました。
「ねえ、お兄ちゃん。あのお堂って、何を祀ってるの?」
「別に神様を祀ってるんじゃないよ」
お兄さんは少し声を落として言いました。
「あれはね、子供のためのお堂なんだよ」
子供のための…?何故そんなものがこんな未開発の山の中にあるのか、私には理解できませんでした。
「まあ、供養塔みたいなもんだよ」
苦笑いをするお兄さんの瞳の奥に、少し引っ掛かりを覚えました。
以前お兄さんが言っていた“良くないことが起きそう”という言葉の核心が、そこに隠れているような気配があったのです。
山に置かれた雪だるまのようなオブジェ、不気味なお堂、私が感じた視線…大人たちが隠したがるステ山の秘密と関係があるのか…。
心に浮かんでは消えていく疑問の答えは、それから意外な形で見つかることになりました。
山の工事が開始されたのは、夏休みが終わって秋に入ってからでした。
大きなトラックが町中を走るようになり、毎日のように工事の音が聞こえました。
順調に工事が進んでいると思われていたある日の夕方。私の家で町の古老たちと工事責任者、担当者の緊急集会が行われました。
ステ山のお堂が、勝手に移動されたことを問い質す話し合いでした。
気になった私は母たちに見つからないように、襖に耳を付けて話し合いを盗み聞きしてみました。
担当者たちの説明では、工事中にお堂を破壊してしまう恐れがあったため、一時的に山の下に移動させるしかなかったのだとか。
古老たちはそれらを言い訳と言って聞き入れることはしません。
お堂を戻せ!
早く戻さないと…
“祟るぞ”
日常生活では絶対に聞くことの無い言葉に、ぞく…と寒気がしました。
しかし担当者たちは「何をそんな馬鹿なことを」と語気を強めました。
話し合いは罵り合いになり、何も解決しないまま担当者たちは帰って行きました。
他の古老たちはまだ話し合いを続けるつもりでうちに残っていましたが、途中でお兄さんが訪ねて来ました。
「親父とじいさんを迎えに来た」と言いましたが、まだ話し合いを続けていると告げると「じゃあケイちゃん。散歩でもするか」と言って私を外に連れ出しました。
辺りはすっかり夜になり、冷え冷えとした夜風が秋の匂いを運んでいました。
小川のほとりを歩きながら、担当者たちとの話し合いの様子をお兄さんに言うと、お兄さんは苦々しい表情を浮かべました。
「まさか勝手にお堂を移しちまうとはなぁ。そりゃみんな怒るに決まってるよ」
「そうだよね。怒るよ。でもおじいちゃんたちも“祟るぞ”なんて…怪談じゃあるまいしね」
「うん、まあ…そうだよね。普通はそう考えるだろうな」
歯切れの悪いお兄さんに違和感を覚え、反論しようとしたその時。
小川の先に小さな影を見つけました。
ひとつ、ふたつ…みっつ…。夜で視界は良くありませんが、子供のような黒い影が、小川の先にある民家の周りをうろついていたのです。
こんな時間に子供…?いや、そもそもこの辺りに小さい子がいる家庭はあったかな…?
影は楽しげに駆け回ります。遊ぶように…。そして民家の門をくぐって見えなくなりました。
私の心は、何故かざわめきました。
良くないことが起きる…あの黒い小さな影を見た時、ステ山で感じた視線の不気味さと通じるところがあったのです。
“祟るぞ”
話し合いの中で聞いた言葉が、頭の中にぐるぐると回っていました。
翌日、祖父の知人のタムラさんの奥さんが亡くなりました。
朝になっても起きてこない奥さんを、タムラさんが呼びに行ったら、布団の中で亡くなっていたそうです。
70歳を越えても元気だった奥さんの突然の訃報に、 祖父は驚いていました。
祖父に連れられて通夜に出席した私は、タムラさんの家について驚きを隠せませんでした。
あの夜、黒い影が入っていったのはタムラさんの家だったのです。
私がそれを見た翌朝に奥さんが亡くなった…偶然にしては気味が悪いものです。
通夜に出席した町の人たちは、あまりにも突然の死にヒソヒソと内緒話をしていました。
なんだか不気味よね…
お堂が移動されたせいかねぇ…
まさか本当に祟ったか…
祖父がタムラさんと話をしている間、私は一人縁側に座って待っていましたが、誰かの視線を感じて庭の隅に目を向けました。
そこには、着物を着た子供たちが佇んでいたのです。
じぃ…と私を捕らえる冷たい目。見た瞬間、息が止まるような息苦しさを感じて、声すらあげられませんでした。
この子たちだ…あの夜タムラさんの家に入って行ったのは…!
そう感じ取った時、子供たちは庭を駆け抜けて門の外へと出ていきました。
靴も履かずに、私は庭に降りて子供たちを追いかけます。門の外に出て辺りを見渡しても、子供たちの姿はありませんでした。
何だったのだろう…あの子たちは。
その時、後ろからお兄さんの声が聞こえました。片手には私の靴を持っています。心配して追いかけて来たのでしょう。
「ケイちゃん、顔が真っ青だよ、どうしたん?」
私はお兄さんに、子供たちのことを話しました。
お兄さんは顔を蒼くして…
「そりゃ…ステ山の子供たちだ」
ぼそり…と呟きました。
“ステ山の子供たち”ってどういう意味?と聞くと、お兄さんはぽつりぽつりと語り出しました。
「あそこはね、子捨て山なんだよ」
お兄さんの話だと、ずっと昔、村に作物が無くなった時に食い扶持を減らすために子供を山に捨てていたそうです。それだけでなく、障害を持った子供も捨てられていたと…。幼い子供たちは、山に置き去りにされ、一人山の中で死んで行った…あまりにも残酷な話に、言葉を失いました。
「昔からあそこには、子供たちの霊が出るとか言われてたんだよ」
「山にあったお堂はそれを鎮めるためのものだったの?」
「そうだよ。開発のために移動させてしまったから…そのせいで子供たちが人里までやって来たのかもしれない」
現実味の無い話だと言うのに、笑い飛ばすことが出来ませんでした。
私とお兄さんの心には、同じことが浮かんでいました。
きっと“次”もある…と。
お堂を戻す話し合いは平行線のまま、数日が過ぎ、そんな中で、さらなる悲劇が起きました
話し合いに参加していた50代の男性と、町に住んでいた工事の若い作業員が、家の中で亡くなっているのを発見されたのです。
立て続けに起きた不審死…住民たちの中には、私と同じように“子供たちの影を見た”“小さい子たちが家に入って行くのを見た”という人もちらほら出てきました。
その噂が広まると、みんな口を揃えてこう言ったのです…
“ステ山の祟りだ”と…。
祖父たちは担当者と工事責任者に頭を下げて、お堂を山に戻すように頼み込みました。
彼等もこの不審死に怯えたのでしょう。早々にお堂を戻すことと、開発は最低限のものにすることを約束しました。
これで安心だ…と思いました。
しかし、ある晩。私の家にも子供たちがやって来たのです。
私はテスト勉強をするため、夜遅くまで部屋にこもっていました。時計を見ると23時を過ぎていて、家族はみんな寝静まっていました。
ずっと机に向かっていると肩が痛くなるもので、少し休憩しようと体を伸ばしました。その時…
タタタ…タタタタ……
と足音が微かに聞こえて来ました。ぞわり…と悪寒のようなものが体の奥底からわき上がり、思わず窓の外へと目を向けました。
まさか…“ステ山の子供たち”が…?
私の部屋の窓からは、玄関が見えます。小雨のせいではっきりとは見えませんが、一瞬…何かが門をくぐるのが見えました。
小さな、いくつかの黒い影が…。
来た!子供たちだ…!
私の頭に、連続不審死のことがよぎりました。
部屋を飛び出そうと、ドアノブに手をかけたその時。
ギイィ…ギイィ……
床板の軋む音が、耳に入りました。誰かが起きているのではない。間違いなく、あの子供たちが入ってきたと、私は確信していました。
パタパタ…タタタタ…
小さな軽い足音が家の中を駆け回っている…まるで誰かを探しているように。
私は部屋を飛び出しました。真っ暗な廊下を進み、居間を覗き、和室を覗き…でも子供たちの姿はありません。
2階に駆け上がり、母の部屋を覗きましたが、母はいびきをかいて寝ているだけ…。誰もいないのに、家中から軽やかな足音だけは響いています。
パタパタ…パタパタ…タタタタ…
1階へと駆け下り、廊下に出た…その時。
くすんだ色の着物を着た子供たちと目が合いました。
私は、はっと息を飲みました。
廊下の先には…祖母の部屋があったからです。
子供たちは生気の無い冷たい目で、私をじぃ…と見つめ、一斉にニタァ…と口を歪めました。
そして、用が済んだと言わんばかりに駆け出し、私の真横を通りすぎて玄関へと向かいました。振り返った時には誰の姿も無く、家の中は静寂に包まれました。
私は急いで祖母の部屋に入り、布団に横たわる祖母の頬を叩きました。
「起きて!おばあちゃん、起きて!」
思ったことを叫んでいたのでしょう。私の声を聞き付けて、祖父と母が起きてきました。
どうした?と声をかける祖父に、私は言いました。
「おばあちゃん、息してない…救急車呼んで!」
祖母は病院で死亡が確認されました。やはり、祖母は子供たちに連れていかれてしまったのでしょう。
祖母の葬式が終わった後、すぐにお堂はステ山に戻され、その後は町の中で子供たちを見ることも無く、あんなに連続していた不審死もぱったりと無くなりました。
意外なことに、工事は滞りなく進み、私が高校に進学した頃には軽めのハイキングが楽しめるコースが完成しました。
一度だけ、そのハイキングコースを歩いたことがあります。
お兄さんと一緒に、完成したばかりのコースを歩きながら、子供たちが山から降りてきた時のことを話していました。
着物姿だったことから、戦前…いえ、もっと前の時代の子供たちなのかもしれないね、と。
そうだね…と歩きながらお兄さんは頷き、急に歩みを止めました。
「なぁ、ケイちゃん…」
お兄さんを見上げると、真剣な眼差して私を見つめていました。
そして、こう言ったのです。
「ケイちゃんが見たという子供たちの中に、黄色いポロシャツの男の子はいなかったかい…?」
もしかしたら、この子捨て山は……もっと秘密があるのかもしれません。
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