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トムおじさん

短大を卒業して働きだした頃、母が亡くなりました。私が三歳の頃からシングルマザーになり、仕事と子育てを両立してきた母は、私が成人して力が抜けてしまったのでしょう。短大を卒業して就職が決まった時から体調を崩し帰らぬ人となりました。早くに父を亡くした私は、本当の意味で孤独になってしまったわけです。
母娘二人で暮らしてきたマンションは途端に寂しくなりましたが、いつまでも寂しい悲しいと言っていられませんでしたので、働きながら母の遺品を整理していました。
押入れの中には、母が大事にしていた父の遺品や私が子供の頃の品が段ボールいっぱいに詰められていました。母は私を大事にしてくれていましたので、幼稚園で作った紙コップのおもちゃまで保管していました。遺品整理のために段ボールを開けたのに、なんだか懐かしくなっちゃって、いちいち手を止めては眺めて懐かしんでしまいました。
ただ、母はあまり私の写真を撮りませんでした。だからアルバムはとても少なくて、古いアルバムに貼りつけられた写真は、古い黒ぶち眼鏡をかけた父のものや両親の結婚式や新婚旅行のものくらいです。
私を誰より大事にしてくれてた母が、なぜ私の写真を残さなかったのか……その理由を私はよく知っていたので、眺めているだけで少し暗い気持ちになりました。

私が写真に写ると、そのほとんどが心霊写真になってしまうんです。

それが初めて分かったのは、入園式の写真からでした。幼稚園の前に立て掛けられた『入園式』と書かれた看板の前で撮った写真に、ぼんやりと白い影のようなものが写り込んでいたのです。現像したものを見た母が、とても気味悪がっていたのを覚えています。
ただ、その時はカメラのレンズにゴミや埃がついて光の加減でそんな風になったんだろうと、母は自分に言い聞かせてしました。
でも同じようなことはさらに続きました。笑顔の私の傍らには、決まって白いぼんやりした影が浮かんでいたり、ぐにゃりと風景が歪んでいたりしました。
カメラの不調でも光の悪戯でもない……母はそう確信して私のスナップ写真を撮らなくなりました。

気を取り直して、私は他の遺品の仕分けに取り掛かりました。段ボールの中には父が生前持っていた品々や友人からの年賀状やクリスマスカードが紐で括られていました。これらは一旦保留にして、母が残していた私のテストやおもちゃをどうするか考えました。
手作りおもちゃを整理していると、封筒に入った紙束を見つけました。中には私が子供の頃に描いた絵が入っていました。ただクレヨンでぐるぐる丸を描いただけのものや、図工の時間に描いた花の絵まで……様々でした。
その中で、奇妙な絵がいくつかありました。

もじゃもじゃの黄色い髪とひげ、そして青い目をした男性の絵です。
何歳の私が描いたものかは分かりませんが、白人男性とすぐに分かる特徴のある絵でした。

これは……誰だろう?そんな疑問が真っ先に浮かびました。私の周りに白人男性などいませんでしたが、幼い私が何らかの意図をもって描いていたのは確かでした。
母が生きていたら「お母さん、これ何?」と聞けたのに……と溜め息をつきました。
仕分けに困ったものは捨ててしまえ、とも思いましたが、私はどうしてもその絵が気になって捨てることができず、また段ボールの中に押し込むことにしました。

それから数日後。私は彼氏のアキラに呼ばれて近所のファミレスに行きました。何の用か聞くと、彼は少し前に二人で行ったテーマパークの写真をテーブルの上に広げました。嫌な予感を胸に、それを見ると……“何か”が写っていました。

「なぁ、ユキ。これ心霊写真だよな?」

私は頷きました。笑顔の私たちの傍らには、人の顔のような白い影が写っていたのです。それも一枚だけじゃありません。
着ぐるみに抱き付く私の写真にも、人気スイーツを食べている写真にも……幼い頃の写真と同じような現象が起きていました。
私はアキラに、心霊写真のことを話していませんでした。だって初めてできた彼氏に嫌われたくなかったから……。不気味でしょう?写る写真すべてが心霊写真になる女なんて。だから隠していたんですが、こんな風に見せられてしまっては隠し通すことができません。
怯えた表情で私を見つめるアキラに、すべてを白状しました。アキラは優しい人です。私の話をじっと黙って聞いていました。話しが終わると、彼は周りに聞こえないように低い声でこう言いました。

「はぁ……不思議だなぁ。なんなんだろうな、これは一体。お母さんが生きてたら、何か教えてもらえたかもしれないけど、亡くなっちゃったんだもんなぁ……。お母さん、何か日記とかつけてなかったの?そこにユキのこと書いてたり……」

だんだんとアキラは普段の調子を取り戻し始めました。どうやら私の話を気持ち悪いと感じてはいないようで、ちょっと安心しました。

「遺品整理を少しやったけど、お母さんの日記なんてなかったよ。あったのはお父さんの写真とか手紙とか、あと私が子供の頃に描いた絵くらい。変な絵まで取ってあって、マメだなぁとは思ったけど日記はなかった」
「変な絵?どんなの?」

私は遺品整理中に見つけた白人男性の絵について話ました。
心霊写真のことで呼び出されたのに、心霊写真とはまったく関係ないところに話が飛んでいるのが奇妙に思えましたが、アキラが気になっているなら話しておこうと思いました。
絵について聞き終えたアキラは、しばらく考え込んで鞄から他の写真を取り出しました。テーマパークに行った時のものですが、ほとんどが施設や風景写真ばかりで、中にはアキラだけが写っているのもあります。何かを探すように忙しなく手と目を動かし、お目当てのものを見つけたアキラは私に目を向けました。

「それ、ひげ面の人?」
「う、うん。そうだよ」
「ここにいる人……?」

テーブルに、一枚の写真を置いて彼は問いかけました。それは満面の笑みでチュロスをかじるアキラの写真でしたが、彼の少し後ろにぼんやりとした黒い影のようなものがありました。顔を近付けてよく見ると……もじゃもじゃの口ひげを持った堀の深い男性の顔が見えました。睨むように、アキラを見つめている……私にはそんな風に見えて思わず息を飲みました。
あの絵の人だ……見た途端にそう察したのです。これは幼い私がクレヨンで描いた男性なのだと。しかし、こんなにはっきり顔が見えたのは初めてのことでした。

「ユキが描いた絵の男と心霊写真は、きっと何か関係があるよ。そんな気がする」
「でも、それがなんだって言うの?確かに不気味ではあるけど……アキラが気するほどのことじゃないと思うの」
「いや。俺はちょっと怖い。だって見てみろよ。他の写真だと影は白い。でも俺がピンで写っているやつは黒くて、よく見ると俺を睨んでいる……ユキを責めるわけじゃないけど、俺にとっては少し怖いし、やっぱり気になるんだよ」

確かにそうです。アキラに対して何らかの悪意を持っている……そんな風に私も思えました。
では、この男は誰なんだろう……疑問はそこに行きつきます。私たちは記憶をたどって男の正体を探ったり、お祓いに行くべきか議論しましたが、結局何も解決しないまま家に帰りました。

それから一か月ほど経った頃、アキラから「心霊写真について話がある」と言われました。私の家に来たアキラはひどく興奮した様子で、挨拶もそこそこに私にパソコンを開くよう指示しました。

「ユキの心霊写真と絵の話、SNSで呟いてみたんだよ。そしたら似たような体験をしてる人を見つけたんだ」

SNSをやっていない私に内緒でそんなことをしていたアキラに、内心苛立ちを覚えました。

「ちょっと待ってよ。アキラ、私の知らないところで勝手にそんなことしてたの?私の話を全世界に発信したってわけ?」
「まぁそんな怒るなよ。そのおかげで体験者が見つかったんだ。彼女がユキと直接話したいって言っててさ。それで来たんだよ」

立ち上がったノートパソコンを勝手に操作して、彼はテレビ通話の準備を始めました。
彼に苛立ちながらも、私と似たような体験をしている人のことは気になりました。写真はすべて心霊写真になる。見たことのない人物の絵を子供の頃に描いている……そんな奇妙な人間は私しかいないと思っていたんです。
アキラが持参したマイクをセットして、通話の準備が整いました。

「ねえ、それって誰なの?どんな人?」
「聞いて驚け。サンフランシスコに住む女性だよ」
「サンフランシスコ?私、英語なんてしゃべれないよ。どうやって通話しろっていうの?」
「簡単な日常会話くらいなら、俺がなんとかするよ」

彼に文句を言っている間に、テレビ通話が開始されました。パソコンの画面には白人の若い女性が映っていました。私より少し大人びて見える彼女は、笑顔で手を振って「コンニチハ!」と片言の日本語で挨拶をしました。

『ハイ、初めまして。あなたがユキね?アキラのガールフレンド。私はリサ。SNSでアキラからあなたの話を聞いて、すごく驚いたわ。まさか私と似たようなことになってる人が日本にいるなんて思わなかったもの!』

ハキハキとした英語をアキラは私に分かるように通訳してくれました。リサはさらに続けます。

『私の体験も話すわ。私も妹も、子供の頃から心霊写真ばかりなの。ママは気味悪がって写真を撮らなくなったわ。だからうちには死んだパパの写真ばっかり飾ってあるの。変でしょ?あと、これもユキと同じだわ。私も小さい頃にアジア人の絵をよく描いてたの。妹もそう。それも眼鏡をかけたアジア人ね。でも私の周りにはそんな人いなかったってママは言うのよ』

通訳されたリサの話に、私は驚きを隠せませんでした。遠い海の向こうで、私と同じ体験をしている人がいるなんて……唯一違う点は、私が描いていたのは白人男性、彼女と妹が描いていたのは眼鏡をかけたアジア人という点だけです。私の反応が愉快なのか、画面の向こうのリサはさらに笑みを深めました。

『私、少しだけ覚えていることがあるのよ。妹が絵を描いてた時、ママが「それは誰?」と聞いたの。妹はこう言ったわ』

“カズヤおじさんだよ”ってね。

リサが口にした“カズヤ”という名前は、私がよく知っている名前でした。それは、幼い頃に亡くなった私の父の名前だったのです。
私が言葉を失っていると、リサは「ちょっと待っててね」と言って席を立ち、葉書のようなものを持って戻って来ました。画面に葉書を映し「ここを見て」と住所が書かれた部分を指差します。
そこにあった住所は私の家、そして名前は父のものでした。

『このクリスマスカードは、私のパパが持っていたものなの。あなたのパパと私のパパは、長いことお友達だったみたいね。あなたのところにもない?』

クリスマスカードを聞いてピンと来た私は、急いで押入れから段ボールを引っ張り出し、仕分けていた父の遺品を改めました。紐で括られた父の遺品の中に、古いクリスマスカードが何枚か入っていました。住所は……サンフランシスコ。名字は読めませんでしたが、名前は“トム”とありました。

「リサ。あなたのお父さんは、トムという名前ですか?」

彼女は大きく頷いて、写真立てを画面に映し出しました。奥さんらしき女性の肩を抱いて笑顔を向ける、もじゃもじゃひげの白人男性がそこには写っていました。私が描いた絵とそっくり……そしてアキラを睨んでいた写真の男性ともそっくりでした。
私も彼女に、アルバムから剥がした父の写真を見せました。新婚旅行でハワイに行った時のもので、黒ぶちの眼鏡を掛けています。彼女は興奮したような笑い声をあげていました。

『あぁ!カズヤおじさんだわ!そう、この人よ!あなたのところには私のパパがいて、私のところにはあなたのパパがいるのね!きっと子供の頃には見えていたのよ、私たち!』

しどろもどろに通訳していたアキラが「これって、守護霊みたいなもんかな?」と呟きました。リサはクリスマスカードを眺めて、そこに書かれたことを読み上げました。

『トムへ。そちらはどうだい?僕の体調はまぁまぁだね。健康が何よりも大事だと痛感しているよ。でも、君に子供が生まれたらお祝いに行くという約束のために頑張ろうと思うよ。君の子供に、カズヤおじさんと呼ばれたいからね。良いクリスマスと正月を。カズヤより』

そしてアキラが私からクリスマスカードを受け取り、たどたどしく読み上げました。

『カズヤへ。メリークリスマス、カズヤ。君と交流を持って何度目のクリスマスだろう。僕はまた体重が増えてしまったよ。君の結婚式には出席できそうもないが、子供が生まれたら絶対に連絡をくれ。君の子に祝福を贈りたいからね。もし君に何かあったとしても安心してほしい。トムおじさんがいつも見守っていると子供に言って聞かせてくれ。僕も子供にカズヤおじさんがいるからねと伝えるから』

二人はどうやら古い付き合いだったようです。私は父のことをほとんど知りませんが、リサの話だと私の父は高校生の頃にトムおじさんの家にホームステイしていたそうです。その時からずっと友情は続いていたのでしょう。しかし、お互いの子供を祝福するという約束を果たせぬまま、父は病死しトムおじさんも交通事故で亡くなったと……。

「ユキの親父さんとトムおじさんは、死んだ今でもお互いの娘を見守り続けてんだな」

アキラの言葉に、私は頷きました。
私たちの写真が心霊写真になってしまうのは、近くに父やトムおじさんがいたからなのでしょう。悪霊なんてとんでもない。彼らは本当の意味で私たちを守ってくれる、守護霊になっていたのです。
しかし、一つだけ疑問がありました。アキラの写真だとトムおじさんは悪霊そのものでした。あれは一体何だったのか……。それにはリサが笑って答えてくれました。

『簡単な話だわ、ユキ。あなたに近付くボーイフレンドを警戒して、パパは怖い顔をしていたのよ。私がプロムナイトで彼氏と撮った写真もそうだったわ。カズヤおじさんが彼氏に張り付いて睨んでいたもの』

それを聞いたアキラは苦笑いをして「ユキさんは大事にしますんで、祟らないでください」と言いました。きっとそばにいたであろうトムおじさんと画面の向こうにいる父がどんな顔をしていたか……それは分かりません。

それから私は、心霊写真のことを気に病むことがなくなりました。写っているのがトムおじさんだと思うと、別に怖くも不気味でもない気がしたんです。きっとそれは、リサも同じでしょう。

先日リサから、男の子を出産したと写真付きでメールが来ました。病室で赤ちゃんを抱く彼女の写真は見事な心霊写真で、窓ガラスには私の父とトムおじさんがぼんやりと写っていました。
そして私とアキラの結婚式の写真も……立派な心霊写真に仕上がっていました。ぼんやりとした白い影が三つ。父と母と、そしてトムおじさん。
これからも私たちの写真には、ぼんやりした影が写ることでしょうね。でもそれは、怖くもなんともない素敵なものなのです。

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