authorized by 浅倉喜織

食器は一枚多く

私が結婚したばかりの頃の話なので、もう十年以上昔の話になります。私は関西の出身で、夫は東北出身。東京で出会って職場結婚しました。お互い実家が遠いので、お盆休みは私の実家に、年末年始は夫の実家に帰るようにしていました。別にお盆休みに東北に行くのでも良かったんですが、雪があまりない場所で生まれ育った私は、真冬の東北に少し憧れていたこともあり、お正月は寒い東北で過ごしたいと言ってこのようになりました。

ただ、お正月を過ごすのは夫の両親が住む実家ではなく、夫の祖父母がいる田舎でした。そこがまたすごいところで……古い映画に出て来そうな平屋の日本家屋だったんです。周りは田んぼや畑ばかりでしたので、元々農家だったんでしょうね。大きな庭が家の前にあり、母屋以外にも蔵とか農作業の道具を置く小さな納屋とかが敷地内にありました。
初めて訪れた時は、異世界に来たかのような錯覚を覚えました。こういう家が現代日本にまだあったのか、とカルチャーショックを受けたものです。

この家に集まるのは義両親と私たち夫婦、そして夫の兄弟家族や従兄弟たち……つまり親戚みんなが集まってお正月を過ごすのです。どのくらいの人数だったか……正確な数は覚えていませんが、十人以上はいましたね。小さい子もすごく多かったので。普段は閉め切っている和室の襖をすべて取り払い、大きなテーブルを並べて大晦日から大宴会。私の実家は、大晦日も正月も静かに過ごしていたので、なんだか新鮮に思えました。

ただ、とても慌ただしかったですね。慣れない家の慣れない台所で、私は義祖母や義母、義姉たちと料理の支度や片付けをして……子供たちの相手もして。宴会で出す料理の品数も、出す食器の数も二人ぼっちの夫婦の比ではありません。大きな食器棚から様々な食器を出してテーブルに並べる時、私はいつもこう言われていました。

「多めに出してね。あと、必ず一番奥の席に子供用の食器も並べておいて」

子供たちのテーブルは別にしていたので、少し妙な注文だなと思いました。それなら子供たちが食事をするテーブルに多く子供用の食器を出しておけばいいのに、と。でもその時の私は、こういう大所帯の集まりというのはそういうものなんだろう、と軽い気持ちで流していました。

大晦日の夜、すべての準備が整うと宴会開始です。大人たちは持ち寄った酒を飲みながら女たちが作った料理を食べ、子供たちは普段は飲めないジュースやお菓子をたらふく食べて遊びます。

嫁いだばかりだった私は、お酌をしたり挨拶をしたりとバタバタしていました。そんな中、奥のテーブルに視線を向けると……ぽつんと端に置かれた子供用の食器が目に入りました。大人ばかりのテーブルの中で、それはなんだか不自然なほど浮いて見えました。よく見ると、食器が置かれているだけでなく、ちゃんと座布団も敷かれてたんです。それも子供が好きそうなアニメキャラクターの描かれたもので、そこだけが異様な空間に見えました。

私はビール瓶を持ったまま義姉に聞きました。

「あの、お義姉さん……ちょっといいですか?」
「ん?どうしたの?」
「あそこにある子供用の食器。本当にあそこに置きっぱなしにしてていいんですか?子供たちのテーブルに移しましょうか?」

すると、ほろ酔いの義姉は笑顔で手をひらひらさせました。

「あぁ、あぁ。ありゃいいのよ。あのままにしといて。うちはね、お正月にみんなで集まる時は必ずああやるの。あれ忘れると面倒なことになるから。だから下げたりしないでね。あのままにしといていいから」

面倒なことってなんですか?と私が問う前に、義姉は他の親戚との雑談に夢中になってしまいました。
洗い物が増えるのに、あの食器に一体何の意味があるんだろう……。最初こそ軽い気持ちで流していましたが、実際に見ると異様な雰囲気ばかり感じてしまい、私は宴会の楽しさよりそっちの方ばかり気になっていました。

大晦日の翌日、元旦の朝も賑やかな宴会です。義祖母や義母が作った正月料理、男性たちや子供たちが朝からついたお餅。都会にはない昔ながらの正月の風景は、ここでなければ味わえないものがありました。

テーブルは大晦日の夜と同じように、大人と子供に分けます。正月料理とお雑煮を食べながら、親戚一同賑やかに正月を祝いました。私の実家では、元旦に初詣に行っていたのですが、どうやらここではそういった習慣はないようでした。近所に神社がないからというわけではなく、元旦は親戚で大いに飲み食いし、そしてご近所さんもお正月の挨拶で顔を見せに来るので、家を空けないようにしているそうです。

私たちが飲んでいる時も、ご近所さんが何度も家を訪ねて来ました。一升瓶やらタッパーに詰めたおせち、小さな菓子折りを持って「あけましておめでとうございます」と御挨拶をするんです。夫の祖父母や両親は、そのたびに席を立ってお客様をお出迎えしていました。

「どうぞどうぞ、お上がりください。一杯飲んで行ってくださいな」

決まって義祖母はそう言ってお客様に席を勧めました。その度にお客様が座る席を作るんですが、増えれば増えるほど窮屈になってしまい……テーブルをもう一つ増やそうかと思ったのですが、私は席を作りながらテーブルの一番奥を見て考えました。
そこには昨夜と同じように、手付かずの子供用食器と座布団が置かれていました。誰も使うことのない、ただの空席です。あそこを片付けて詰めれば、少しはマシになる。そう思いました。

義母たちがお客様の相手をしている間に、私は子供用食器と座布団を下げて大人用の席を作りました。義姉に「下げたりしないでね」と昨夜言われたばかりでしたが、みんな酔っているので私の行動を咎める人はいません。
私が作った席にお客様が座り大人たちはみんなで宴会を楽しみました。

しかし、宴会の最中。私はちょっとしたことに気付きました。
和室の隅を歩くような、小さな音が……ふとした時に聞こえたのです。

とっとっと……、とっとっと……

食べるのに飽きて遊びに行った子供たちかな、と最初は思いました。でもみんな、外に行ってしまったので家の中にはいません。何より、その音が聞こえて来る場所には誰もいないんです。隣に座る夫の肩を叩き、小さな声で聞きました。なんか、変な音がしない?と。

「ねずみかな?古い家だから、たまにねずみが出るんだよ」

酔って顔を真っ赤にした夫は、笑いながらそう答えました。ねずみなら、もっと音も軽いはず……と言葉を返そうとしましたが、あまり食い下がるのも変かなと思って飲み込みました。
それでも、座っていると……また聞こえるんです。

とっととと……、とっとっとっと……

畳の上を、行ったり来たりしている音が……大人たちの笑い声に混じって耳に入りました。そういう音って不思議なんですよね。一度耳に付くと離れないというか……。だから私、ずっと気になってしまって……色んな方から話し掛けてもらったのに、その時ばかりは会話に集中できませんでした。

その日の夕方のことです。長く続いた宴会もようやく終わり、みんなで片付けをしていた時のことでした。洗い物をするために大きなお盆に食器を乗せて廊下を運んでいると、私の後ろから誰かが近付いて来る足音がしたんです。
遠くから、とととと……と駆けて来る足音。子供たちの誰かが遊んでいるのかな、と思いました。廊下を走っちゃ危ないよ、と声をかけようと立ち止まり振り返ると……誰もいないんです。ただ長く冷えた廊下が続いているだけで、私以外の姿はありません。
それなのに、足音だけはよく聞こえる。

とととと……、とっとっとっと……

真冬の底冷えとは違う寒気が、私の体に走りました。さっきから、一体何なんだろう……この不気味で不思議な音は。近付いて来る足音に、私は逃げ出したい気持ちでいっぱいになりましたが、体は恐怖で強張り身動きが取れません。盆を持ったままその場に立ち竦んでいると、足音はどんどん私に近付き、やがて私の真横をすうっと通り過ぎて行きました。
その瞬間……本当に一瞬でしたが、小さな白い足が見えたような気がしたんです。本当に真っ白な、子供の足でした。「ひぃ!」と小さな悲鳴を上げている間に、足音は私から遠ざかり、廊下の先にある客間の中に吸い込まれて行きました。

この家には、何かがいる……。

そう確信しましたが、それが何なのか分からず、ただ私は怯えたまま片付けに戻ったのでした。
しかし、翌朝になってちょっとした騒動が起きました。私たち夫婦と同じように宿泊していた親戚の方……確か夫の従兄弟のコウジさんという方だったと思います。その奥さんが朝から子供を大きな声で叱っていたんです。
ヒステリックな声はやけに家の中に響き、私と夫はその声で目が覚めました。コウジさん一家が使っている客間にパジャマ姿のまま行ってみると、それはもう酷い有様でした。
部屋の中は鞄の中身を引っ繰り返したように、色んなものが畳の上にぶちまけられていたんです。着替えや奥さんの化粧品、歯ブラシ、子供が持って来たおもちゃ……嵐にでも遭ったかのような散らかりようでした。

「どういうことなの?あんたがやったんでしょう。イタズラぱっかりして!」
「俺、やってないよ!こんなのやってないもん!」
「嘘つくんじゃないの!三年生にもなって、こんなことやって!寝ている間にこそこそ散らかして面白がってたんじゃないの?」
「してないよ!俺、そんなことしてない!夜はずっとお父さんの隣で寝てたもん!」

泣き出しそうな声で男の子は自分の無罪を訴えていました。それでも奥さんは、自分の息子がイタズラをしたと信じて声を荒げます。コウジさんは二日酔いなのか、低く唸りながら妻と息子のやり取りを眺めていました。

「まぁまぁ。こいつがこう言ってんだから……そんなに叱るなよぉ」
「あんたは黙ってて!どうせ二日酔いで片付けもできないんだから!これを片付けるのは私なのよ?」

いよいよ泣き出しそうな男の子が可哀想になり、私と夫が声を掛けました。第三者が入ったことで、奥さんも次第に冷静さを取り戻していき、何があったのかぽつぽつと話してくれました。
どうやら、部屋の隅に置いてた荷物が朝になったら全部外に出されてて、このような散らかった状態にされていたようです。財布の中も出されていましたが、お金やカード類が盗まれた痕跡はなく、ただ中身を外に出しただけという状態でした。何者かが泥棒したというより、子供のイタズラという方がしっくり来ます。だから奥さんは、小学生の息子を最初に疑った……というわけです。

「寝ている間に誰か入って……というのも、なんかおかしな話でしょう?わざわざ部屋に入って荒らすだけ荒らして出て行っちゃうなんて」
「そうですね。何かを盗んでいたら、まだ分かりやすいですが……。でも、小学生がやるイタズラにしては、あまりに子供っぽいと思います。息子さんより、もっと小さい子ならこういうこともやりそうなもんですが」

そうかしらねえ、と奥さんは考え込むように小さく唸りました。男の子は「ほら、言ったじゃん。俺じゃないって」と可愛く唇を尖らせていました。
その時、私はふとあることに気付き、一旦部屋の外に出ました。
思えばこの部屋……昨夜あの足音が入って行った部屋だ、と。
あの得体の知れない白い足の何者かの仕業……そんな考えが頭に過った時、台所から義母の「ぎゃあ!」という叫びが聞こえました。弾かれたように私と夫が台所へと駆けます。他の部屋から義姉も飛び出して来ました。
台所を覗き込むと、そこもまた酷い有様でした。流し台の下にある棚から、醤油や砂糖といった調味料が床にぶちまけられ、米びつは倒されて中から白米が零れていました。床を汚すごま油の匂いが台所中に充満し、まさに足の踏み場のない状態。コウジさん一家の部屋と似たような散らかりようです。

「朝ごはんを作ろうと来てみたら、この状態だったのよ……」

呆然としながら義母が呟きました。一体、誰がこんなことを……目の前に広がる光景に言葉を失っていると、義姉が独り言のように呟きました。

「これ、“あの子”じゃない?もしかして……」
「そうかもねぇ……昔もこういうことあったものねぇ……」

義母が頷きます。“あの子”とは誰なんだろう。私が疑問符を浮かべ夫を見上げると、夫は小さく唸りました。

「あぁ、そっか。君には言ってなかったか。この家ね、お正月に親戚が集まった時、席を用意してあげないとこういうこと起きるんだよ」

席を用意してあげないと……その言葉で、私は思い出しました。大晦日と正月の宴会で用意した、誰も座らない奥の席。子供用食器を用意し、下げるなと言われていた席……。
コウジさん一家の部屋と台所の惨状と関係があるのだろうか、と思っていると義姉が私へと顔を向けました。

「あ、もしかして……あの子供用食器下げちゃったりした?」
「はい……昨日ご近所さんが来た時に、席を作ろうと思って……」

義母と義姉が「あぁ、そうだったのねぇ」と合点がいったという風に頷きました。私は今しか聞ける機会はないと思い、昨夜見た白い足や聞いた足音について話しました。夫も義母も義姉も、何も言わずに聞いてくれて、私が話し終えると「ちゃんと話してなかったね、ごめんね」と言って“あの子”とやらについて語り出しました。

この家は昔から……それはどうやら義祖父が子供の頃かららしいのですが、その頃からお正月になると怪異が起きていたそうです。正月のお祝いの席で変な足音が聞こえたり、子供のお年玉を抜いたり、低い位置の障子に指で穴を開けたり、部屋のものを散らかしたり……どれも困った子供のイタズラばかり。
毎年それに悩まされていましたが、ある親戚の女性が席の端に子供用の食器と座布団を用意してあげたら、その怪異は止まったそうです。それからこの家では、お正月の祝いの席では必ずテーブルに席を用意してあげるのだと……。

その話を聞いて、私は部屋の散らかり方に共通点があると気付きました。言われていれば、台所は低い位置に置かれていたものだけが散らかされています。そしてコウジさん一家の部屋も、床にあるものだけが荒らされていました。高いところだと、きっと届かないのでしょう。

「それってつまり、座敷童みたいなものなんですか?」

私が問うと、義母は笑いながら手をひらりと振りました。

「それならいいんだけどねぇ。ほら、座敷童は良いことを家にもたらしてくれるでしょう?うちのはそういうんじゃなくてね、お正月を一緒に祝わないと拗ねてイタズラするだけなのよ。面倒なことばっかりする。祟ったりとかはないんだけど、用意してあげないと片付けだけで一日終わっちゃうから、ちゃんと一緒にあけましておめでとうってやるのよ」

その怪異の主が何者なのかは、誰も分からないそうです。
その日の朝食の席には、きちんと子供用の食器を用意しました。すると怪異は起きず、無事にその年のお正月は終わりました。
もう毎年あの家に行くことはなくなりましたが、きっと今もお正月になると食器を一枚多く用意して、“あの子”の席も用意してあげていると思います。
“あの子”が何者なのかは分かりませんが、お正月くらいみんなで賑やかに祝いたいですからね。

 

 

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