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最期の晩餐

目が覚めると、口のなかによく知っている苦い味が広がって、思わず顔をしかめた。

昨夜寝る前に飲んだ薬がまだ溶け残っていたみたいだ。
朝っぱらから最悪の気分。

洗面所に行って冷たい水で顔を洗い、そのまま歯を磨いて口を3回ゆすぐ。
まっさらなタオルに顔をうずめると、ようやく気持ち悪さがおさまった。

「大丈夫、なんだか顔色が悪いみたいだけど?」

キッチンで朝食の支度をしていた妻が僕の顔をちらっと見て、すぐに手元に視線を落とした。
ボウルに割りいれた卵の殻を取り除いているようだ。

「平気だよ。でも今日は時間がないからコーヒーだけにしておくよ」

コーヒーメーカーにカップをセットし、ボタンを押す。
たちまち独特の香ばしいにおいが部屋中に漂い出した。

テレビで7時のニュースが始まる。
早起きのアナウンサーが「常識ですよ」みたいな冷めた口調で原稿を読み上げる。

「昨夜7時過ぎ、男が路上で塾帰りの女子高校生をナイフで刺し、そのまま逃走しました。女子高校生は病院に搬送されましたが、まもなく死亡。男が『死にたくない』という趣旨のことを叫び続けていたのを近所の住民が聞いており、―」

「こわー」

いつの間にか娘の佳奈が起きてきていた。
眠そうな顔で、髪についた寝癖を手で引っ張っている。

「そういえば、お前も高校生だったな」
「そうだけど」
「気をつけろよ、帰りが遅くなる時はちゃんと―」
「うるさいなあ、すぐそういうこと言うんだから。パパこそ気をつけなよ、犯人みたいに自暴自棄にならないように。そろそろ準備しておかないと」
「……」

佳奈に渡された熱いコーヒーを胃に流し込む。
カフェインが血管をぐいぐい押し広げていく。

それでも、佳奈の口にした「準備」という言葉がひやりとした質感をもって脳の片隅にこびりついて離れなかった。

早めに家を出たせいか、いつもよりすんなり会社に着いた。
オフィスにはまだ誰もいない。

パソコンを立ち上げ、溜まっていたメールを手際よく処理していく。

そのなかのひとつに僕の目が吸い寄せられた。件名が『今夜8時に迎えに行く』しかし、肝心の本文には一言も書いてないし、差出人の名前もない。

しばらく頭をひねっていたが、ふいにひとりの名前が浮かんだ。
そうだ、川田だ。
そういえばあいつ、学生のころからメールの件名だけ送る変なやつだったな。

同じ登山サークルに所属していたけど、ほかのメンバーは川田のことをあまり快く思ってはいなかったようだ。

いつか誰かが言っていた、
「あいつの世界にはあいつしかいない。だから死神に会うこともない」
悪いやつではないんだよな、と僕は思う。
ちょっとばかし強引なだけだ。

僕は少し考えてから、「了解」とだけ返信しておいた。

昼休みに珍しく妻から電話がかかってきた。どことなく嬉しそうな声。
含み笑いをしている顔が目に浮かぶ。

「ねえ、今日はいつ帰れる?できれば早めに帰ってきてほしいんだけど」
「今日?あー…今日は予定があって遅くなるかも。晩ご飯はいらない。外で食べてくる」
「あら、そうなの」
「ごめん。でも、今日ってなんかあったっけ?」
誕生日でも、結婚記念日でもない。

「ううん、いいの。帰ってくればわかるから」
妻は僕の返事も聞かずに電話を切った。

なんなんだろう、今日はみんなが僕に肝心なことを教えないようにしているみたいだ。
食べている途中だったサンドイッチを平らげてから、今度は口のなかで錠剤が溶けないようにすばやく薬を喉に流し込んだ。

8時きっかりにビルの下に降りると、自動ドアの前で仁王立ちをしている男がいた。当然ドアは開きっぱなしだ。川田だ。
僕が近づいていくと、少しひきつったような笑みを浮かべた。

スーツはよれよれだし、髪もぼさぼさ。
鞄も持っていないのはどうしてだろうか。

「久しぶりだな。連絡くれて嬉しいけど、突然どうしたんだ?」
川田は僕の質問には答えずに、回れ右をして歩き出した。
ついて来い、ということらしい。
まったく、相変わらずだ。

諦めてついて行くと、川田は一軒の洒落たレストランに入っていく。
驚いたことに予約までしてあるらしい。
あらたまって僕と食事に行こうなんて、どういう風の吹き回しなんだ。

席についても、川田は黙ったままどこか遠くを眺めている。
僕は我慢ができなくなった。

「なあ、川田。ぶしつけで申し訳ないけど、いったい僕になんの用事があるんだ。たしかにほかのやつらみたいに僕はきみを邪険に扱ったことはないけど、気軽に連絡を取り合うほど親しくはなかったはずだぜ?
それがどうして今になって突然僕を食事に誘うんだよ。きみがなんの説明もしないから、僕は正直食事どころじゃないんだ」

川田はしばらく僕の顔を見つめていたが、ややあって口を開いた。

「用事というほどでもない。最後に食べたいのが海老のグラタンで、お前と一緒にそれを食べたかった。ただそれだけだ」
「最後?」と僕は訊いた。

川田は、運ばれてきた海老グラタンをひと口食べてから、満足げに頷いた。
「一昨日、帰ったら家に書類が届いてたんだ。準備しとけよ、ってな」

準備?今朝の会話がよみがえる。

「そろそろ準備しておかないと」と佳奈は言った。

急速に口のなかが乾いていく。僕の混乱をよそに、川田はうまそうにグラタンを食べ続ける。

「今朝のニュース見ただろ?犯人は書類に書かれた自分の死亡日を見て、パニクって事件起こしたらしいぜ」
「死にたくない」と叫んだ男の悲痛な声が耳元で聞こえる。
僕は頭を振った。

薬によって不老不死を得られた一方、僕らの死は世界が飽和しないために望まれてもいる。叫んでも誰かを刺しても仕方のないことだ。

「いつなんだ、お前の死亡日は?」
僕の問いに、川田は笑みを浮かべて答えた。

「明日だ」
僕らは黙ってグラスを合わせる。

誰の世界にも死神はいたのだ。
寄るところがあるという川田と駅で別れ、僕はぼうっとしながら家まで歩いた。途中電柱にぶつかりそうになったり、道を間違えそうになったりしたけれど。

「ただいま」
なんとか家にたどり着いた僕の耳に、妻と娘のかすかな話し声が聞こえる。

リビングのドアを開くと、ふたりが同時に振り向いた。

「おめでとう!」
なにが?と言おうとして、また口のなかが乾いていくのがわかった。

目が食卓の上から離れない。
僕の席に、見覚えのある白い封筒が置いてある。
ああ、さっき検索してでてきた写真とそっくりじゃないか。

死亡通知書。

前略。貴殿の死亡日が決定しましたのでお知らせいたします。
3日後の午前8時にお迎えにあがります。

僕は叫んだ、「嫌だ、死にたくない!」




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