authorized by 浅倉喜織

過去に帰れ

少し……いえ、大分不思議な話をしましょうか。今から十年以上前の話です。
 私の実家の近くに公園があるんですが、そこは近隣の幼稚園児や小学生は近寄らない穴場の遊び場でした。
 住宅地のど真ん中にあるため、人気がありそうなものですが、大通りを渡った先にある大きな公園にみんなそっちに遊びに行っていました。
 人気のないもう一つの理由は、子供が好きそうな話でした。

 あの公園のトンネル遊具で遊んでた子が、行方不明になったことがある……。

 学校の七不思議にでもありそうな、いかにも子供が囁き合う怖い噂話。その話に具体的な根拠などありません。
 行方不明になったのがいつなのか、その子は何ていう子なのか、どこの幼稚園または小学校の子なのか、警察はどんな捜査をしたのか……大人が思い付く疑問を解決してくれる回答はどこにもありません。
 ただ恐怖心を掻き立てることばかりが子供たちの間で囁かれ、それに対して私たちは「わあ、怖いねえ」なんて間の抜けたことを言い合っては心の底でその恐怖を楽しんでいました。

 そんな公園でしたが、私はそこが好きでした。人がいないということは、子供同士の遊具の取り合いや、はしゃぐ男の子たちからサッカーボールが飛んで来ることもありません。
 たまに行くと、ママと2歳くらいの子が二人で砂場で遊んでいるくらいです。遊具を使っている子供はいませんし静かな空間でしたから、騒がしい公園が苦手な私はよく一人で遊んでいました。
 私は学校が終わると、ランドセルを部屋に放り投げ、公園へと走っていました。

 小学三年生の時のことです。私はいつものように、放課後一人で公園まで行き遊んでいました。
 公園の中央にそびえ立つ時計は、15時を差しており、私は誰もいない公園で遊具を満喫していました。
 クラスの友達は、流行りの少女漫画雑誌やかっこいいアイドルグループに夢中でしたが、私はやっぱり公園の遊具が一番好きでした。

 公園にある遊具はブランコ、ゆらゆら前後に揺れるパンダとライオンの置物、ジャングルジム、二股の滑り台。そして砂場へと続くカラフルなトンネルでした。
 虹をイメージして塗装されたトンネルは、ただ真っ直ぐなものではなく、ぐねぐねと蛇のように曲がりくねっており、よく赤ちゃんがハイハイをして遊んでいる遊具でした。

 このトンネルが、噂の発生源……怖くてここでは遊ぶ気になれない……なんてことはありませんでした。

 私は噂に臆することなく、このトンネル遊具で遊ぶことは多々ありました。
 学校にはこういう遊具はありませんし、這いつくばって進む感覚が楽しかったのです。
 その日も私は、滑り台やブランコを堪能し、トンネル遊具の中に四つん這いで入り込みました。
 外側の派手さが嘘のように、トンネルの中は薄暗くひんやりとした空気が充満していました。
 赤ちゃんがハイハイするように中を進んでいくと、ぐねぐね曲がりくねった先に出口が見えて来ました。丸く切り取られた視界の先にある砂場には、誰が忘れたか分からないシャベルやバケツが、無造作に投げ捨てられており、私は砂場を目指して手を膝を動かしました。
 もうすぐ砂場だ……という時、私は思わず立ち止まりました。

 視界が、ぐにゃりと曲がったような気がしたのです。

 目眩のような感覚とは、少し違うものでした。目の前に見えたトンネルの先にある砂場の風景が、一瞬渦を巻くように歪んだのです。
 目の錯覚だろうか……さっきのは何だろう。
 一度立ち止まった私の手足は、好奇心の赴くままに動き出し、そちらへと向かいました。
 その空間を通過しても何も体に変化はありません。違和感のようなものも感じることなく、私はいつものように砂場に出ました。

 ところが、外に出て辺りを見渡して……私はそこで初めて違和感を覚えました。

 公園の中にある遊具の一部が、無くなっていたのです。
 パンダとライオンの遊具、ジャングルジムが公園内から消えていました。砂場の周囲には見覚えのない白い柵が設置され、公園の外にある家々もどこか違うような気がしました。
 公園の中にそびえる時計を見上げると、午後14時を差していました。

 おかしい……私が公園に来たのは15時だったはずなのに……。

 心がざわつきました。ここはどこなんだろう……確かにここは私の大好きな公園ですが、何かが違う。その“何か”がはっきりしない。喉の奥に小骨が引っ掛かったような奇妙な違和感を胸に、私は公園を出て辺りを歩いてみることにしました。

 公園の外にある住宅地に大きな変化はありませんでした。見たことのある家が並び、見たことのある表札が付いている……それなのに感じる違和感の正体に、私はだんだんと気付き始めました。

 家が何となく古い……停まっている車が違う……道があるはずの場所に道がなく、アパートが建っている……人が住んでいたはずなのに空き家の看板が掛けられている……外に置かれた子供用の自転車がない。

 気にしなければ見過ごしてしまいそうな、小さな違いです。一度そういうのに気付いてしまうと、どこの家を見ても目に付いてしまうもので、住宅地を歩きながらその小さな違いに私は戸惑いを隠せませんでした。

 よく知っている場所なのに、全く違う場所に見える……。
 私が今いる場所はどこなんだろう……。

 まるで異世界にでも来たような錯覚を覚え、家に帰るのが怖くなり私の足は大通りへと向かいました。
 もし家がなかったら……そう思うと怖くてたまらなかったのです。

 大通りに出ると、私の知っている風景とはまるで違うものが広がっていました。
 家族でよく行くファミレスは大型リサイクルショップになり、見たことのないスーパーや飲食店が並んでいました。クラスの友達が住んでいるはずのマンションはすっかりなくなり、そこはガソリンスタンドになっていました。

 どうしよう……どこなの?ここはどこなの?

 私はその場に蹲り、泣き出してしまいました。子供の私には、今の自分が置かれている状況がまるで分からず、何をどうすれば良いのか冷静な判断を下すことができなかったのです。
 迷子になったらおまわりさんのところに行く……学校でそう教わったけど、おまわりさんがどこにいるのかも分からない。
 その時、途方に暮れて泣きじゃくっていた私の頭上から声がしました。

「どうしたの?」

 顔を上げると、髪の長い若いお姉さんが私を見下ろしていました。スウェットのような服装で、化粧をしていない顔は私を見た瞬間、少し驚いていたように見えました。

「ちょっとここは危ないから、こっちにおいで」

 彼女は私の手を引いて、道の端に移動させました。私の目線に合わせるように身を屈め、まじまじと私の顔を見つめながら言いました。

「どうしたん?迷子?」

 お姉さんの言葉に私は頷き、差し出されたハンカチで涙を拭いました。

「名前、言える?」
「マ……ミ……」
「え?何?マミちゃん?」
「ううん。マナミ……」

 その瞬間、お姉さんの顔からサッと表情が消えました。見てはいけないものを見てしまったような、そんな怯えの色が黒い瞳に浮かんでおり、名乗った私の方が怖くなり思わず俯きました。

「おうち、帰りたい?」

 表情とは違う優しい声色で、お姉さんは私に尋ねます。当然私は、大きく何度も頷きました。

「そっか、そうだよねえ。おうち帰りたいよねえ。んじゃ、お姉さんが案内してあげる」
「お姉さん、マナミのおうち知ってるの?」
「うーん……まあね。ま、直接おうちに連れてってやるわけにはいかないからさ。帰れるようにしてあげるよ。おいで」

 差し出された手を握って、お姉さんと歩き出しました。
 さっきまで一人で歩いていた住宅地の中。あんなに不安だったのに、お姉さんと一緒だと何故か安心して歩くことができました。
 どこに行くんだろうと思っていると、行き着いた先は、私がいた公園でした。

「懐かしいなあ、何年ぶりだろう」

 はすっぱな言葉遣いで彼女は言い、私の手を引いてあのトンネル遊具に向かいました。
 遊具の前で私の手を離し、暗いトンネルの中を指差してこう言いました。

「マナミちゃん。もう一度だけ、ここを潜ってみるんだよ。そしたら、おうちに帰れるからさ」
「そんなの無理だよ。怖いもん」
「怖くないよ。大丈夫。お姉さんを信じな。絶対に大丈夫だから」

 薄いお姉さんの顔には、力強さがありました。私は彼女を信じて、四つん這いになってトンネルの中に入りました。
 いつもは楽しい遊具でも、この時は楽しい気分になどなれませんでした。

 また変な場所に飛んでしまったら……お姉さんの言うことが嘘だったら……。

 二度と私は、お母さんやお父さんと会えないかもしれない。よく似た違う世界のどこかで、私は一人ぼっちでさまようんだ。
 そんな思いが胸にこみ上げて来て、自然と視界は涙で滲みました。
 ポロポロと涙を溢しつつ、私は曲がりくねったトンネルを進みました。丸く切り取られたトンネルの出口に、砂場が見えてきます。
 その時です。涙でぼやけた視界が渦を巻くように、ぐにゃあ……と歪みました。勇気を振り絞り、前へ前へと進み出て、歪む空間を潜って砂場に転がりました。
 膝を擦りむいたようなピリッとした痛みを覚えつつ、体を起こすと……そこは私のよく知る公園の風景がありました。

 ジャングルジムもある……パンダとライオンの遊具もある……砂場に柵はない。

 時計を見上げると、午後15時を少し過ぎたくらいの時間でした。それを見た瞬間、体の奥底から安心感がわき、私はフラフラと公園を出て歩き出しました。
 見慣れた景色は、私の心を癒していきました。

 家々の前に停まる車も、子供用の自転車も、よく行く店も、友達の住むアパートも……。

 普段は気にも留めない景色の一部が、この時ばかりは“そこに当たり前のようにある”ことが何よりも嬉しかったのです。
 自宅へ続く道を歩きながら、私が行ってしまった場所はどこだったのか考えました。あのお姉さんは何者だったんだろう、と……。
 しかし小学生の私には、そこまで深く考えることができず、家に帰っていつも通りの生活をし、いつしかこの奇妙な出来事は忘れていきました。

 あれから約10年の歳月が流れ、私は地元の短大に通う女子大生になりました。
 家から通っていましたが、毎朝歩く大通りの風景は私が子供の頃とは大分変わってしまい、もう昔の景色がどんなものだったかも曖昧になっていました。
 それなのに、この景色を昔どこかで見たことがある……そんな風に感じていました。

 授業が休みのある日。私は昼頃に目を覚まし、誰もいない家の中でダラダラとしていました。親は仕事でいなかったので、私一人だとどうしてもだらしなくなります。女子大生なんてものは、そんなものです。
 さすがに一日中だらけているわけにもいきませんし、昼過ぎにもなればお腹も空いて来ましたので、近所のコンビニで何か買おうと家を出ました。
 格好はひどいものです。髪は縛らず、服装も部屋着のスウェットのまま。顔は当然ノーメイク。彼氏が見たら100年の恋も冷めそうな出で立ちで、私はコンビニまでの道をダラダラとサンダル履きで歩き出しました。ハンカチとティッシュを持って来たのは、かろうじて残る私の女心によるものだったと思います。

 大通りの歩道を進み、コンビニが近付いて来た時、私は住宅地へ続く細い道の真ん中で蹲っている子供を見つけました。
 どこかで見たような……心が妙にざわついて、私はその子に声を掛けました。小学生くらいの女の子は、涙で濡らした顔で私を見上げ……その顔を見た瞬間、忘れかけていた遠い日の記憶が濁流のように押し寄せて来ました。

 これは、昔の私だ……あの公園で怖い思いをした私がここにいる……!

 ハンカチで涙を拭かせ、名前を聞くと、彼女はやはり“私”でした。
 私はこの子を、元の世界……元の時代に返してあげなきゃと思いました。だって私はあの時に助けてくれたお姉さんなのだから。
 マナミちゃんの手を引いて、私は公園へと歩き出しました。もう何年も行っていない公園に、こんな形で訪れることになるなんて……これも何か奇妙な縁が成せるものなのかもしれません。
 公園の時計は14時を差しており、私はトンネル遊具に彼女を連れて行きました。
 あの時、お姉さんが言ったことと同じ台詞を口にし、遊具に入り込む“私”の姿を見送りました。
 彼女は砂場に出てくることはありませんでした。無事に過去に戻れたのでしょう。

 私があの日見た、奇妙な歪みのようなものは、ここに繋がっていたんだ……。

 誰もいない公園で、私はなんとも言えない不思議な感覚に耽っていました。
 過去の私から見たら“未来”に繋がっていた歪み。ということは、今の私がここを潜ったら“過去”に行くことになるのだろうか。試す勇気はありませんでした。
 カチリ、と時計の針が進む音を聞いて、私は公園を後にしました。
 きっと彼女は、また“私”になるのでしょう。約10年後の未来、あの子は私と同じように女の子を見つけてここに連れて来る。
 思い付きで変なことをしなければ、きっと無限にそれは続いていく……そんな気がしました。

 それから数週間後、私は短大の帰りに何となく公園に行ってみました。そこには、驚くべき光景が広がっていました。

 あのトンネル遊具がなくなっていたのです。

 近年、遊具の撤去がニュースでも話題になり、子供の遊び場が減っていると問題視されています。ここもそんな寂しい公園の風景に様変わりしていました。
 あの遊具がなくなったということは、もうあの歪みを見ることはないのかもしれません。
 そう考えた時、私はふと思いました。

 私が子供の頃、噂になった行方不明になった子供のことです。

 もしその噂が本当で、あの歪みのせいで行方不明になった子がいたとしたら……その子は帰ることができるのだろうか、と。

 帰る場所を失った子は、死を迎えるまでこことは違う時間の中を一人ぼっちでさまよっているのだろうか。
 もしかしたら、世の中で神隠しと言われている現象はこんな背景があるのかもしれません。

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