私は、この町の出身ではありません。元々近くの市に住んでいて、仕事でこっちの町に来ていたのがきっかけでケンイチさんと出会いました。
ケンイチさんは私が働いていた知り合いの食堂の常連さんで、町の農家の後継ぎでした。農家の常連さんはいっぱいいましたが、同い年くらいの若い人は彼くらいで、お客さんの中でも目立つ存在でしたね。
日焼けした肌に、若者らしい爽やかな笑顔。少し訛りのある快活な喋り方に、私はいつの間にか夢中になっていました。
嬉しいことに、彼も私のことが気に入ってくれたみたいで、一年ほどお付き合いをして結婚しました。
過疎化の進む田舎の農家の長男と結婚する……私の両親は不安がりましたが、ケンイチさんや義両親の人柄を見て、私を嫁にやっても大丈夫だと納得してくれました。
私が嫁入りした頃、この町は開発が進み観光にずいぶんと力を注いでいました。
やれ農業体験だ、やれキャンプ場だハイキングコースだ……まさに町の命運をかけた事業だったのでしょう。
その開発は良い方向にどんどん進み、長期休みのシーズンになると都会から観光客がやって来るようになりました。
町が潤う素晴らしいことなのに、ケンイチさんはあまり浮かない顔をしていました。
「町おこしになるのは良いけど、あの山で何か起きないか心配だ」
あの山とは、町の奥にある“ステ山”のことです。
“捨てる山”と書いて“ステ山”と呼ばれるその山は、かつて子供が文字通り捨てられていたという曰く付きの場所でした。
私はケンイチさんから少し話を聞いただけですが、昔は町の人たちも「入ってはならない」と言われていた場所なのだとか……。
ちょっとした心霊スポットなのかと思い、詳しく聞いてみたこともありますが、ケンイチさんは多くを語りたがりませんでした。
彼にとって、あまり良い思い出がないのだなと、その時は軽く考えていました。
結婚したばかりの頃の私にとって、ケンイチさんとステ山は、その程度の認識だったのです。
しかし、彼とステ山の関係が深いものと知ったのは、私が妊娠した後でした……。
結婚2年目で、私はようやく妊娠しました。結婚したらすぐにでも子供が欲しかった私たちですが、不思議といつまで経っても妊娠することがなかったのです。
不妊症を疑い、二人で病院に行き検査もしましたが、どちらも特に問題は無く……原因不明のまま2年もの歳月が流れたのです。
念願の妊娠に、ケンイチさんは大喜びでした。もちろん、私もです。やっと私は母親になれる……そんな幸せの絶頂にいたある日のこと。不思議な夢を見ました。
私は夢の中で、暗い山の中を歩いていました。冷たい空気に湿っぽい臭い……辺りからは不気味な鳥の声が聞こえてきます。
濡れた落ち葉でぬめる地面に足を取られながら、ここがどこなのかも分からないまま、私は必死にどこかへ向かって歩いているのです。
その時、小さな小さな社のようなものを見つけた、そちらへと向かいました。辺りには石を雪だるまのように重ねた、不格好なオブジェがずらりと並び、鬱蒼とした不気味な空気が漂っています。
やっと社にたどり着くと、その陰から着物を着た女の子が顔を出しました。
薄汚れた身なりの、青白い顔の幼女です。
驚いて、ひ!と声をあげると、女の子は白い顔に笑みを浮かべました。
ニタァ……とした、気持ち悪い笑顔で、瞬きもせずに私を見つめていました。
何よ、この子供……気持ち悪い!と思って踵を返すと、私の背後にはボロボロの着物をまとった痩せ細った男の子が、じいっと私を見上げていました。
そして彼もまた、ニタァ……と口元を歪ませて、笑ったのです。
怖くてたまらなくなり、逃げようと辺りを見渡すと……恐ろしい光景が待っていました。
私を取り囲むように、たくさんの子供たちがニタニタと笑いながら、私をじっと見つめていたのです。
そして、声を上げました。
ケケケケケケ……
クキキキキキ……
産ませない、産ませない……
ヒヒヒヒヒ……
子供たちの不気味な声に、私は悲鳴を上げ……目を覚ましました。
隣で眠っていたケンイチさんも目を覚まし、私を心配そうに見つめていました。
「アキ、どうしたんだ?すごい声出して」
「怖い夢を見たの、とても恐ろしかったわ……」
私はどんな夢を見たのかケンイチさんに語ろうとした、その瞬間、腹部に強い痛みを感じ蹲りました。
ケンイチさんが呼んだ救急車で病院に運び込まれ……診察を受けた結果、私は流産したと知らされました。
あんなに楽しみにしていた赤ちゃんを、私は失ってしまった。悔しくて、悲しくて、私は涙を流しました。ケンイチさんもとても悲しんでいました。
大丈夫だよ、と彼は慰めてくれましたが、私にはあの不気味な夢が気掛かりでした。
産ませない、産ませない……
子供たちの声が、頭にこびりついて離れない……。
なんとなく私の中で、これがただの夢ではないと感じていました。
その後も私は妊娠と流産を繰り返しました。妊娠検査薬に陽性反応が出るたびに、喜びと不安を抱え、それがストレスになりケンイチさんに辛く当たることもありました。
そして流産する前には、決まってあの夢を見るのです。
陰鬱な空気の漂う山の中をさまよい、石の重ねられたオブジェを見て、たくさんの子供たちの異様な笑い声と呪いの言葉を聞く……。
現れる子供たちは、いつも違う顔触れでした。赤い着物の女の子もいれば、茶色い着物の男の子もいる。みんな古い着物に青白い顔をしていましたが、一人だけよく覚えている子供がいます。
黄色いポロシャツを着た、細くて小さな男の子でした。
彼が出てきた夢は、いつもと少しだけ違っていました。
小さな社の前に私が立っていると、その子は藪の中から私の方へと向かって来て、黒い瞳でじいっと私を見上げました。
「君、お名前は?」
私が聞くと、彼は消えそうな小さな声で答えました。
「トシキ……」
「そっか、トシキくんか。どうしてここにいるの?」
「捨てられたの、パパに。僕はいらないんだって。良い子じゃないから……」
「ママはどうしたの?」
「ママ、来ないよ。待ってたのに、来てくれないの。誰もお迎え来てくれないの」
無表情で淡々と語るトシキくんに、底知れない闇を感じました。夢の中なのに、生々しいほどに私の体は恐怖に震え、それでも彼から目を逸らすことが出来ませんでした。
さらに、トシキくんは言葉を続けました。
「お迎え、来ないよ。誰も来てくれない。パパもママも……ケンちゃんも」
そこで、私は夢から覚めました。
またも流産した私は、ケンイチさんにこれまで見ていた夢のことを打ち明けました。もう一人で抱え込むのが限界だったのです。
きっとこんなオカルトじみた話し相手なんて、信じてもらえないだろう。精神的に追い詰められた妻がおかしな夢を見て怯えているだけだろう。そんな風にあしらわれると思っていましたが、ケンイチさんの反応は予想外でした。
私が見た夢を聞くと、彼は顔を真っ青にして怯えたように震え出したのです。
「アキ、それはただの夢じゃない。俺がこの町の人間だから、あの山の子供たちが呪ってるんだ……」
「あの山?ケンイチさん、あの山って何よ」
「子捨て山の子供たちだよ」
体に、冷たいものが走りました。いつもの私なら「呪いなんて」と笑い飛ばしていたでしょうが、自然と非現実的な“子供たちの呪い”という言葉を受け入れることが出来たのです。
それだけあの夢が、不吉なものにまみれていたから……。
私は、気になっていたあることをケンイチさんに聞きました。
「ねえ、ケンイチさん。ケンイチさんって子供の頃、ケンちゃんって呼ばれてた?」
「あぁ、呼ばれていたよ」
「それって、黄色いポロシャツの男の子からも……?」
私の言葉を聞いた瞬間、ケンイチさんはびくりと肩を震わせて……ぼそりと呟きました。
「それは、トシちゃんだ……」
ゆらりと彼は立ち上がり、押入れの段ボール箱から何かを取り出しました。
それは薄汚れた、小さなクマのぬいぐるみリュックでした。
「それは、何……?」
「これはトシちゃんの……その黄色いポロシャツの子の遺品だよ」
彼は、ぽつりぽつりと幼い頃のことを語り出しました。
ケンイチさんが小学生の頃、都会からある家族が移住して来ました。その家には幼稚園児くらいの小さな男の子がいて、いつも人目を避けるように神社の裏の林や茂みの中に一人佇んでいました。
不自然なほど華奢で色も白く、無表情な子供で、大人たちも気味悪がっていました。
しかしケンイチさんは、都会から来た子供に興味津々で、何かと声をかけては一緒に遊んでいたと言います。トシちゃん、ケンちゃんと呼び合い、不審がる大人の目を盗んでは日が暮れるまで一緒にいました。
子供だったケンイチさんから見ても、トシちゃんは親から虐待されているのが分かっていました。
毎日同じ黄色いポロシャツを着て、体に痣を付け、痩せ細り、いつも親に怯えていたからです。
しかしケンイチさんは、そのことを大人に言えなかった……自分が言うことで、トシちゃんと会えなくなるのでは、もっと酷い目にトシちゃんが合うのではないか、言っても無駄かもしれない……。
そんな風に思っていたある日、トシちゃんは行方不明になりました。
村中で捜索されましたが見つからず、捜索が打ち切られた頃になってケンイチさんは“ステ山”へと行きました。
虐待されていたトシちゃんは、親に山へ捨てられたのでは……と思ったからです。
その予想が裏切られることは、ありませんでした……。山の入り口の藪の中から、クマのぬいぐるみリュックを見つけたのです。
それはトシちゃんがいつも背負っていたリュックでした……。
私に打ち明けたケンイチさんは、ぬいぐるみリュックを見つめて低い声で言いました。
「俺が大人に、トシちゃんが虐待されてることを話していれば……こんなことにならなかったかもしれない。すぐに山を捜索して、発見出来たかもしれない。捨てられることもなかったかもしれない。俺が臆病だったせいだ……俺のせいなんだ」
ケンイチさんは、大粒の涙を流しました。
虐待の末に、山に捨てられたトシちゃん……彼は一人で山の中で死んでいったのでしょう。お迎えを待ちながら……。
「夢に出てきたトシちゃんは、何か言っていたかい?」
「お迎え誰も来てくれないって言ってたわ……パパもママも、ケンちゃんもって」
そう言うと、ケンイチさんは「そうか……」と言って項垂れました。
その翌日の夜、ケンイチさんは一人でどこかに出掛けました。
私には、どこに行ったか分かりました。彼は一人でステ山に行ったのです。
トシちゃんを迎えに……。
私はすぐに彼を追いかけました。ステ山に入るのは初めてで、営業時間外のハイキングコースに侵入し懐中電灯を頼りに彼の姿を探しました。
陰鬱で冷たい空気は夢の中と一緒で、漂う不気味さに怖気が走りました。
しばらく進むと、コースから外れた鬱蒼とした藪の中を進むケンイチさんを見つけました。彼は私に気付き「来ちゃ駄目だ!帰れ!」と叫びました。
しかし私は、彼を一人にしておくことなど出来ません……その背中を追いかけ藪の中を進むと、小さな小さな社のようなものが見えて来ました。
あぁ……同じだ。夢の中と同じものだ。
子供たちの怨嗟の声を鎮めるかのように佇む社。その前に立った時、奇妙な視線を感じました。
いる……子供たちが、私たちを囲むように……。
今にもあの笑い声が聞こえてきそうな息苦しさに、私は微かに震えました。
ケンイチさんはクマのぬいぐるみリュックを強く握り締め、虚空に向かって言いました。
「トシちゃん、俺だよ。ケンちゃんだよ。お迎えに来たよ」
すると、社の陰から子供が顔を覗かせました。
黄色いポロシャツの、小さな男の子……トシちゃんでした。
「ごめんよ、トシちゃん。お迎え、遅くなっちまったなぁ……ごめんよ、ごめんよ」
ケンイチさんは彼に、ぬいぐるみリュックを差し出しました。薄く微笑んだトシちゃんがそれを受け取ると、二人は手を繋ぎました。
「トシちゃん、山を下りよう」
頷くトシちゃんの手を引いて、私たちは歩き出しました。
冷たそうな細いトシちゃんの手は、しっかりとケンイチさんの大きな手に握られています。幼い頃も、二人はこんな風に手を繋いで遊んでいたのでしょう。
山の出口に着いた時、トシちゃんは呟くように言いました。
「ケンちゃん、お迎えに来てくれてありがとう。ケンちゃんがパパなら良かったのに……」
そして彼の姿は、いつの間にか消えていました。
もうトシちゃんの魂はステ山には無いでしょう。だってお迎えが来たのですから……。
その後私とケンイチさんは、町から引っ越し新しい土地で生活を始めました。
しばらく子供は出来ませんでしたが、最近やっと子宝に恵まれ、お腹にいるのが男の子と分かりました。
この子は、私とケンイチさんで大事に大事に育てて行きます。
だってこの子は、トシちゃんの生まれ変わりかもしれないのですから。
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